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春は売買するものではなく、震える寒さの中で待ち望むものである



先日新聞を読んでいたら、43歳の男性医師が女子高生に現金を渡し、淫らな行為をしたため、児童買春・ポルノ禁止法違反の疑いで、警視庁池上署に逮捕されたという記事が掲載されておりました。

こういった記事を読んでいて、いつも不思議に思うのは、体を売る行為を「売春」という点です。

普通に考えたら体を売っているのですから、「売体(ばいたい)」で良いと思うのです。

また心身のうち身は売っても、心までは売っていないのですから、「売身(ばいしん)」でも良いと思います。

いずれにしろ体を売る行為に、春という単語が使われる事によって、春のイメージが若干は低下しているのですから、もし私が「春を愛する会」の会長だったら、または春の訪れを知らせる「春の妖精」だったら、名称を変えろ!と抗議するはずです(笑)。

なお余談になりますが、ソープランドはかつて「トルコ風呂」と呼ばれておりましたが、トルコ人留学生の抗議により、現在の名称に変更されたそうです。

こういった記事を読んでいて、もうひとつ不思議に思うのは、買った側の男性にどんな罰が与えられるのかは、詳しく記載されているのですが、売った側の女子高生に対して、どんな罰が与えられるのかが、まったく記載されていない点です。

買った側の男性が圧倒的に悪いのですが、売った側の女子高生だって、少しは悪い点があったと思います。

そのため警察から厳しく注意される、警察から連絡を受けた学校から停学処分が下される、家庭裁判所に送致されるなど、何かしらの罰が与えられるはずです。

こういった点を少女が特定できない範囲で、できるだけ報道する事が、体を売るという行為を、思い止ませる可能性があります。

つまり売る側の抑止力になるのであり、現在のような買った側に与えられる罰に偏った報道では、買う側の抑止力にしかならないと思います。

ところである週刊誌が、「ヤレる女子大ランキング」という特集を組んだため、世間から批判を浴びております。

またランキングの中に入っていた女子大の学生が、その週刊誌に対して抗議するため、署名運動を始めたそうです。

名誉を傷つけられたのですから、抗議するのは当然だと思うのですが、それだけでは十分ではないような気がします。

つまり抗議すると同時に、同じ大学の学生に対して、「大学のイメージを低下させるような行為は止めよう!」、またはもっと具体的に、「軽い女と見られるような行為は止めよう!」などと、学校内で訴えるのです。

このような抗議するだけに偏らない姿勢が、「ヤレる女子大ランキング」などという下品な特集を、この世から抹殺すると思います。

もし抗議だけに止まっていたら、ほとぼりが冷めた頃に、復活するかもしれません。

最近は少しずつ日が伸びて、日没が遅くなってきたため、春の気配をわずかに感じております。

わずかでも春の気配を感じると、嬉しい気持ちになるので、やはり春は売買するものではなく、震える寒さの中で待ち望むものだと思います。
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  1. 2019/01/14(月) 20:15:53|
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「情けは人の為ならず」の間違った解釈と、「自己責任論」は表裏一体



突然に営業を停止したため、予約していた振袖が成人式に着られないというトラブルを起こした、振袖の販売・レンタル業「はれのひ」の元社長に対して、横浜地裁は平成30年(2018年)12月19日に、懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡しました。

ただ元社長に実刑が言い渡されたのは、粉飾した決算書類で銀行から融資を受けた点についての、責任を問われたからであり、新成人に被害を与えた点については、責任を問われておりません。

これでは逃げ得のようなものですから、判決を聞いた被害者の方は、納得できない気持ちになったはずです。

こういった暗いニュースばかりなのかと思っていたら、はれのひに関連した、明るいニュースも報じられました。

それは被害者の受け入れを表明し、新成人10人に着付けをした横浜市の老舗呉服店に、客足が戻ってきたというものです。

成人式は一生に1回しかないのですから、今お店を訪れているのは、次回の成人式において、振袖を着たいと思っている方だと思います。

このニュースを初めて聞いた時、「情けは人の為ならず(人に親切をすると、その相手のためになるだけでなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくる)」という、有名な諺を思い出しました。

人間同士の助け合いの大切さを示した、とても良い諺だと思うのですが、「人に情けをかけて親切にするのは、結局はその人のためにならない」という、間違った解釈をしている方もいるようです。

この間違った解釈について考えていたら、約3年間に渡って武装組織に拘束されていた、フリージャーナリストの安田純平さんが開放され、日本に戻ってきた時の事を思い出しました。

例えばこのニュースを報じた、ニュースサイトのコメント欄には、自らの意思で危険な地域に行った安田さんを、税金を使って助けるのはおかしいという、「自己責任論」が記載されていたと思います。

現在の日本はこの一件だけでなく、「貧困は自己責任」、「人工透析患者は自己責任」などと自己責任を強調し、そんな人間は助ける必要はないと冷たく突き放す方が、増えている感じがします。

こういった方を見かけると、情けは人の為ならずの正しい解釈を、伝えたくなってしまうのです。

ところでこの諺の間違った解釈の方を、正しいと考える方が増えたのは、2000年頃のようです。

例えば平成13年(2001年)に文化庁が実施した、「国語に関する世論調査」によると、情けは人の為ならずの意味を、正しく解釈していた方は47.2%、間違って解釈していた方は48.2%となったため、間違った解釈が主流派になりました。

この時代の辺りに何があったのかを振り返ってみると、平成16年(2004年)に日本人3人が、イラクの武装勢力に誘拐されて人質となり、自衛隊の撤退などを要求されました。

またこの事件を語る時によく使われた「自己責任」が、その年の流行語大賞の、トップテンに選ばれたのです。

流行語大賞に選ばれた言葉を見た時、「何それ、誰が使っているの?」と思う事がありますが、自己責任については話題になった印象があり、またこの頃から、自己責任論を主張する方が増えてきた印象があります。

そうなると情けは人の為ならずの間違った解釈の普及と、自己責任論を主張する方の増加は、表裏一体なのかもしれません。
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  1. 2019/01/01(火) 20:23:20|
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